よりによって今日という日が自分の担当という事にただただ緊張している
工事担当の門脇正樹です。
今日で9年という時間が過ぎました。
自分は、気仙沼の親戚の家が流されたというのはありましたが、誰も亡くしてはいませんので、9年経ったというには、あまりにも場違いな感じもしています。
皆さんそれぞれに、9年前のその時の記憶はあると思うのですが、
自分はすでに今の会社にお世話になって6年ほど経った頃でした。
どこの現場に居たかもはっきりと覚えています。
現場に着いて車を降りて、いくらも経たないうちに、あのいまだかつて無い揺れを体験しました。
その場に立っている事も出来ずに、近くにあった産業廃棄物のカゴにすがって長い長い揺れが収まるのを待っていました。
造成地の立っていた電柱が斜めになり、みるみるうちに電線が緩んで下がってきたのを記憶しています。
そこから、数日間は電気の無い生活でした。
子供の頃からほとんど停電など体験していませんので、どうしていいか分からない事ばかりでした。
会社も停電になっておりますので、電話も止まっていますし、パソコンも使えず、近隣のOBさんからのメンテナンス依頼を受け付けしたり、ときには、漏水に対して止水に行ったりしていました。
しかし、夕方になると暗くなってしまいますので、自宅に帰るしかないという生活でした。自宅ももちろん停電しており、その当時はまだ結婚していなかったので、お袋との二人暮らし。
自宅のこたつ(電気は入っていませんでしたが、茶の間で石油ストーブを使ってすごしました。)で、ロウソクを灯し、お袋と長い話をするという今でも信じられない恐怖の数日を過ごし、今夜こそ電気が点かないと、もう何も話す事が無いという日に、停電が解消されほっとしたのを覚えています。
その後、震災の影響でその家が住めなくなった事から、自宅を建てさせて頂く事になったのですが、その時の停電という体験から太陽光パネルの設置も行いました。
自宅では、蓄電池までの設備は無いので電気を使えたとしても日中の発電している時間帯に限られるのですが、そのタイミングだけでも携帯電話の充電やテレビなどでの情報収集など出来る事に幅が広がりますし、その間だけは、どこにも頼らずに独立している発電設備としての安心感もあります。(そうならないのが一番なのですが。)
震災のみならず、気候変動の影響からか、毎年のように災害にさらされるようになってしまいました。
毎年、どこかで自然災害が発生している状況です。
偉そうに言わせて頂ければ、建物を作っている会社の一人として何が出来るのか、そんな、がらにもなく真面目な事を考えるいい機会でした。
今日という特別な日のブログを書かせて頂きました事、感謝致します。
ありがとうございました。